【偏差値65】浅野中学校
浅野中学校・高等学校(あさのちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、神奈川県横浜市神奈川区子安台にある私立中学校・高等学校。中高一貫制男子校。
概要
実業家・浅野總一郎により、1920年(大正9年)に創設され、80年以上の伝統を有する。県内では栄光学園・聖光学院に次ぐ進学実績を挙げており、首都圏で難関校のひとつとして位置付けられている。
略歴
浅野總一郎は大正期に米国視察を通じ、フォード・モーター等米国の有力企業で人材教育が重視されていることを知り感銘を受け、本学園設立を着想。教養と高度な職業能力を併せ持つ人材を浅野財閥各社をはじめとする民間企業へ供給するという、実業学校的理念を強く持って開校された。当初はアメリカのゲイリーシステムという勤労主義を導入。学内の一角に作られた工場による科学技術教育と、実用的な語学教育を特色としていた。
戦後の学制改革に伴い旧制中学を改組し中高一貫体制を確立、進学校を志向する。1970年代頃より東大早慶等の難関大学への進学実績を伸ばしている。
校風
旧制中学時代からの質実剛健・バンカラ気質であるといわれている。
中高一貫教育であり、クラブ活動への参加率も高く、教員の多くが本校OBでもあることから人的結びつきが強くアットホームな雰囲気が醸成されている。第三代以降の歴代校長は本校OBである。
神奈川県内の中高一貫校のなかにあって、戦後生まれのミッションスクールである栄光学園・聖光学院・サレジオ学院や、大規模新興校である桐蔭学園・桐光学園、仏教系の鎌倉学園、大学まで一貫の慶應義塾各校とは一線を画した校風であり、県立伝統高校に似た雰囲気を持っている。
制服は古くから中高ともに黒の詰襟で、かつては制帽もあった。
クラブ活動
体育系17部、文化系12部。任意加入であるが、参加率は中学生ではほぼ100%、受験生である高校3年生でも運動部を中心に3分の2の生徒がチームの中核として引退せずにクラブ活動を続けている。クラブ活動に熱心な生徒は学業成績も概して良好である。
戦前?戦後まもない頃は神奈川県内屈指の野球の強豪校として知られ、甲子園に春1回・夏3回出場している。最高位は全国ベスト8。戦後は、夏の県大会優勝1回(甲子園出場)、同ベスト4が2回、秋季県大会優勝3回、春季県大会優勝1回。
棋道部は近年、文部科学大臣杯中学校囲碁団体戦全国大会で好成績(第3回大会はベスト8、第4回大会は優勝、第5回大会は準優勝)を収めている。
地理
京浜工業地帯、ベイブリッジを眼下に見渡す高台に位置し、曇天でもよく見える。晴れた日には遠くに富士山を望むこともできる。 58,655m?の広大な敷地を有し、そのほぼ半分は浅野総一郎翁像がある「銅像山」と呼ばれる自然林に占められ、豊かな緑で包まれている。 校地の東側に隣接する「子安台公園」は、戦前まで校地の一部であったが、戦時中に陸軍に高射砲陣地として接収され、返還されることなく公有地となったものである。
交通
JR京浜東北線新子安駅、京急新子安駅より徒歩8分。
校内
敷地内には、グラウンド、本館、中学棟、高校棟、講堂、生徒ホール、体育館、プール、第1広場、第2広場、多目的コート、部室、クラブハウス(中学生用部室)、テニスコート、格技場(柔道場)、剣道場、卓球場、ハンドボールコート、浅野總一郎翁の銅像がある。地下2階、地上5階建ての高校棟は最新機器を導入したコンピュータ室、120インチビデオプロジェクターを備えた語学演習室をはじめ先進の教育環境を整えている。2007年春には中学棟に新しくエレベーターが設置されるなどバリアフリー化も進んでいる。スポーツ施設が各種整い、クラブ活動や体育の授業に活用されている。
銅像山と浅野翁像
銅像山とは、校地の南東に位置する小高い山。頂上には浅野總一郎翁の巨大な銅像が置かれている。台座には、浅野總一郎が設立に関与した各企業名等の記された銘版が埋め込まれ、彼の業績が讃えられている。山頂は駐車場としても利用される広場になっており、浅野翁の開拓した京浜工業地帯見下ろせる。
銅像山西側斜面には昭和後期まで防空壕がそのまま残されていた。防空壕はエスケープポイントして活用されていた時期もあった。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』浅野中学校・高等学校


