【偏差値55】成城中学校
成城中学校・高等学校(せいじょうちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都新宿区原町にある私立中学校・高等学校。
概要
「日本体育会発祥之地」碑 2009/6/11撮影1885年(明治18年)創立の伝統校。日高藤吉郎、河村隆実といった旧士族らが皇室の恩恵を受け創立。戦前は陸軍士官学校・陸軍幼年学校への全寮制予備校として、陸軍軍人志望者に予備教育を施し、数多くの高級軍人を輩出した。日本の陸軍大将は計134名、うち約1割は本校の卒業生である。当初は成城学校と称していたが、後に成城中学校(旧制中学)と改称した。日本で初めて臨海学校、林間学校を開設したほか、陸士受験に必須であったドイツ語を教育する数少ない学校として知られた。戦前は清国からの留学生を多数受け入れ、その卒業生の多くは時の清国を支える指導者として活躍した。
副都心新宿区原町にありながら、土のグラウンドを有するほか、3万冊以上の蔵書を抱える図書館、50台のコンピューターを備えたマルチメディア教室、柔道場、剣道場、テニスコート、温水プールなどを完備しており、部活動も活発に行われている。現在の敷地は、江戸時代には水野忠邦の屋敷であり、明治期に後の校長を務めた児玉源太郎らの尽力により宮内省から下賜されたものである。
「成城」という名は、詩経大雅篇にある、「哲夫成城」に由来する。「哲夫」とは智徳のすぐれた男子のことであり、哲士、哲彦ともいう。 成城の城は国を指し、国を成すの意。すなわち、知達の士は国家を興隆させる者であることをいったもの。校章の三光星は「知・仁・勇」を表す。
2000年以前は最寄り駅の都営地下鉄新宿線の曙橋駅や、営団地下鉄東西線(当時)の早稲田駅から徒歩で15分近くかかっていたが、都営地下鉄大江戸線開業後は牛込柳町駅から徒歩1分と大変至便となった。
成城学園との関係は下記参照。9代校長の澤柳政太郎が成城学校内に付設した成城小学校が成城学園の起源。これが現在の世田谷区に移転し、成城学園として分離独立した。ゆえに現在は、成城学園とは別個の学校である(成城大学は成城学園の大学であり、成城高校は成城大学の附属高校ではない)。なお、大阪府立成城高等学校とは関連が無い。
日本体育会との関係は、本校の創立者である日高藤吉郎が学校法人日本体育会を、校舎敷地内に創立。現在、校内に「日本体育会発祥之地」なる記念碑が建立されている。創立以来、学校間の関係はないものの、両校の創立者である日高が死去した際は合同葬儀を実施している。
成城学園との関係
(以下の記述は、校史『成城学校百年』に基づく)
1916年、澤柳政太郎が、成城学校の9代校長に就任したが、その就任の条件として、小学校を付設させることを挙げた。その翌年の1917年、成城学校内に、成城小学校が新たに付設され、新教育の実験校となった。
以来、親たちより、旧制中学校以降も小学校と同様の教育をして欲しいという熱心な希望があり、1923年、成城小学校の卒業生が進学する、成城第二中学校が開校した。
さらにその卒業生の進学先となる旧制高等学校の問題が出てきた。また、将来の生徒増を考えると、教室、敷地も狭くなるため、東京府郊外へ新校地を求めていた。そして、関東大震災を契機に、府下北多摩郡砧村喜多見(現世田谷区成城)で、それが実現することとなった。
1925年、成城第二中学校が移転し、これに伴い、成城玉川小学校が併設された。1926年、7年制の成城高等学校が創設開校され、成城第二中学校は法規上自然廃校となり、高等学校の尋常科として、包括された。
1929年、砧村の成城小学校、成城第二中学校は、正式に成城学校の財団とは分離独立している。
交通
都営地下鉄大江戸線 - 牛込柳町駅(徒歩1分)・若松河田駅 (徒歩9分)
東京地下鉄東西線 - 早稲田駅(徒歩15分)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』成城中学校・高等学校


