【偏差値57】城北埼玉
城北埼玉中学校・高等学校(じょうほくさいたまちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、埼玉県川越市古市場にある私立中学校・高等学校。中高一貫制男子校。従前は東京都板橋区の城北中学校・高等学校とは系列校であったが、現在、交流関係はない。
概要
城北埼玉の構想が出来たのは、1970年(昭和45年)頃である。当時、城北学園の理事長兼校長であった近藤薫明(旧府立四中、現・都立戸山高校元教諭)が、創設者・深井鑑一郎の出身地(岩槻)を深谷と解し、武蔵嵐山を候補地として構想を練っていた。そこに、埼玉県の高校誘致による関係で、現在の城北埼玉高校の構想ができた。近藤薫明が80歳を過ぎての開校となった。
初代の近藤正巳校長は、城北高校元副校長・旧城北予備校(市ヶ谷)校長、現・前校長は城北学園のOBである。埼玉県における私立進学校の草分けの一つとして、基礎に重点を置きながらも、大学入試に直結するような授業を展開する。特に高校3年次には8月、1月と、受験の対策のための合宿(希望制)が群馬県みなかみ町猿ヶ京温泉の保養施設で行われる。
特色
学校週5日制を採用していない。高校2年次より理系・文系に分かれてクラスを編成し、3年次ではさらに細かくクラス分けをしている。また、成績優秀者を集めた選抜クラスも存在する。特に理数系に強く、文系は軽視されがちである。
授業料は私立の割には安価(但し埼玉県は、関東の中でも私立高校への補助金制度が遅れている)で、受験校の強制もない。なお私立校であっても公立校的雰囲気があるのは旧制東京府立四中(現・都立戸山高校)の校風を引き継いでいるからと思われる。
「城北埼玉中学・高校」は呼び名として長いので、呼びやすくするために「城玉(じょったま・じょうたま)」と呼ぶ事もある。この時「城北(じょうほく)」と呼ばないのは、東京都板橋区にある城北中学校・高等学校との混同を避けたためである。また、「城埼(じょうさい)」と呼ばないのは、市内にある城西川越中学校・城西大学付属川越高等学校と混同するため「城玉(じょったま・じょうたま)」と略されたのではないかと思われる。
制服
中学生・高校生ともに黒の詰襟。中学生は黒ボタン、高校生は金ボタンとなっており区別がつけられる。Yシャツも中学生はうすいグレーのチェック、高校生は無地と相違がある。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』城北埼玉中学校・高等学校


